LOVEとLIKEについて(全文)

朝日新聞天声人語 2010年11月10日(水)から

「LOVE(ラブ)」と「LIKE(ライク)」はどう違うのか。何で読んだか思い出せないのだが、ある説明に感心して書き留めたことがある

 あのね! それは『深代惇郎 エッセイ集』(朝日新聞社刊)に収録されてます。先達の言葉を忘れるとは、いったいどういうこと? 許さん! というわけで全文。
 

「LOVE」と「LIKE」はどう違うのかと聞かれて、「ラブ」は「ライク」より強いのだろうと答えたら「程度の問題ではない、と人に教えられたことがあった。その先生は、「LOVE」は異質なものを、「LIKE」は同質のものを、求めることで、そこが違うのだという説明の仕方をした。
 このはなはだ哲学的な解釈が、言葉の説明としても正しいのか、どうかは知らない。しかし、聞いていて、なるほどと思った。
 
 神への愛であれ、異性への愛であれ、「愛」には不安定な激しさが感じられる。それは、自分と異質なもの、対極にあるものに立ち向かうために起こる燃焼のせいかもしれぬ。これに対し「好きだ」ということには、何かしら安定感がある。自分と同質なもの、共通するもの、同一線上にあるものを知る歓びであるためのような気がする。
 いいかえれば、「LOVE」は、異質な相手と合体することによってはじめて自分が完全になれるという欲求だとすれば、「LIKE」は、自分と同じものを相手の中に確認したい願望だといえようか。
 
「愛」ももっとも深い、本質的な情念にして、人間が造られたのだとすれば、やはり驚嘆すべき造化の妙にちがいない。
 しかし、人間には、もう一つ「知恵」というものが与えられた。知恵があるので、一万メートルの空を飛ぶこともできるし、原子を破壊する秘密さえ知っている。知恵があるので、目標を立て、それを達成するためにもっとも効率のよい組織をつくり、もっとも便利な方法を編み出す。
 このようにして物事を合理的にしてゆくことで、さまざまな問題が起こってくるが、その一つは万物を数字にしてしまうことだろう。数量化しなければ物は合理的にならないが、数字にすれば、一つ一つの持つ意味や質は無視されることになる。
 
 あなたにとってかけがえのない人も、他の人とまったく同じように「一人」として数えられるにすぎない。「小鮒釣りしかの川」も、水量何トン、長さ何キロの川になってしまう。このようにして、人も物もすべてが「統計数字」になり、同質化されていく。
「愛」が人間のもっとも本質的な情念とされたのは、実は、異質のものと対することにより人間は自己発展することができる、という仕組みを内蔵させるためではなかったのだろうか。その意味で、人間の知恵は「愛のない世界」をつくることに一生懸命になっている。
 
 たとえば、日本全体が画一的になり、地方の個性が薄れていくことがよくないのは、旅の楽しさがなくなるといったことからではない。異質なものがなくなることは、愛を喪うことであり、自己発展のエネルギーを失うことになるからである。
 地方選挙で、国政をそのままコピーしたような選挙を見ながら、こんなことを考えていた。

 これが1975年頃の文章。最後の一文は、お約束というか余計なお世話的なきらいはあるが、現在の天声人語子のように「LOVE」と「LIKE」の対比に留まることなく

 しかし、人間には、もう一つ「知恵」というものが与えられた。

と、こうくるところが深代節の真骨頂。

「愛」が人間のもっとも本質的な情念とされたのは、実は、異質のものと対することにより人間は自己発展することができる、という仕組みを内蔵させるためではなかったのだろうか。その意味で、人間の知恵は「愛のない世界」をつくることに一生懸命になっている。

 泣ける!

 この名文を30年以上前に読んでいるから、最近の
> 理想の結婚相手は「3同男」(日経ウーマンオンライン)
http://wol.nikkeibp.co.jp/article/special/20100603/107318/
 などは、決定的に「違う!」と思っている。余計なお世話か(笑)

 この本を復刻してくれたら朝日新聞を許してやる。いや真面目な話。
(追記)
悲しいかな「書き写す」べきなのは今の駄文ではなくて、40年近く前の文章だという朝日新聞の現状w