「ドラッカーの本には愛がない」

R25』の巻末エッセイ「結論はまた来週」で高橋秀実が、いいこと書いている。
曰く、

 読み終えて私はまず思った。文章には勢いがあり、重要なことを訴えているようなのだが、その「内容がない」感じがしたのである。

 例えば、彼は「個人の強みは社会のためになる」と訴えている。

 つまり基本や原則という考え方の根底には「世の中は入れ替えが可能」という発想が潜んでいるのだ。

 この発想の対極にあるのが、恋愛だろう。
 誰かのことを好きになる。いったん好きになると入れ替えはきかなくなる。

 そう考えると、ドラッカーの本には愛がない。

 もっともらしい話はもっともらしいだけで、いつまでも「もっとも」にはならず、人を動かすこともないと私は思う。

 はい、わたくしもそう思います。「リードされたい人はいるが、マネジメントされたい人間はいない」というでは、あーりませんか。
 もうひとつ思い出したのが(毎度、恐縮ではございますが)深代惇郎のエッセイであります。曰く、

「LOVE」と「LIKE」はどう違うのかと聞かれて、「ラブ」は「ライク」より強いのだろうと答えたら「程度の問題ではない」と、人に教えられたことがあった。その先生は、「LOVE」は異質なものを、「LIKE」は同質のものを求めることで、そこが違うのだという説明の仕方をした。このはなはだ哲学的な解釈が、言葉の説明としても正しいのか、どうかは知らない。しかし、聞いていて、なるほどと思った。

 そそ。他の誰とも「入れ替えが不可能」だから、その相手を「かけがえのないひと」と呼ぶのですよ。生まれる国と時代を人が選ぶことができないのと同じように、親も子も(原則として)選べない。唯一「選択可能(入れ替え可能)に思える」生涯のパートナーを「運命の人」と思ってしまう(もしかして勘違いかもしれない)心のあり方を、最も強い情念としたところに人の世界の美しさがあるのです。