「ブランドは、コンテンツとコミュニケーションの掛け算」

と述べたのは、双日総合研究所の(取締役副所長・同主任エコノミスト吉崎達彦さんである。
http://tameike.net/pdfs7/tame345.PDF
 
 それを思い出したのは、昨日参加したセミナー
「パーソナルBCD(ブランドコミュニケーションデザイン)のABC」
http://shu.weblogs.jp/monju/2010/11/bcdabc-3942.html?utm_campaign=shu103&utm_medium=twitter&utm_source=am6_feedtweet
でのセッションだった。
 
 大変刺激的な知見に満ちた内容だったのだが、聞いていて思ったのは

「プロダクツであれサービスであれ、それがヒットして(売れて)ブランドが確立するためには、コミュニケーションやマーケティングがいかに優れていても、肝心のコンテンツがダメだったら到底無理なのではないか?」

と、タイトルの言葉を例に挙げて質問したのだった。
 
 すると、さすが講師のコミュニケーションデザイナー岩見周介さんは、すかさず「もちろんそうです。コンテンツが優れていることは前提条件です。」とはっきりおっしゃった。
 
 これは至極当たり前のことのように思えるかもしれない。だが結構、この事実を直視せず「上手なマーケティング戦略をすればモノは売れる」みたいなことを言う人が、実は少なくない気がするのだ。
 
 電通総研が発表した『話題注目商品2010』レポートを見ても、それは明らかである。
http://www.dentsu.co.jp/news/release/2010/pdf/2010115-1125.pdf

1位 スマートフォン(34位)
2位 Twitter(104位)
3位 食べるラー油(-)
4位 地デジ対応大画面薄型テレビ(7位)
5位 坂本龍馬(101位)
6位 羽田空港国際化(-)
7位 東京スカイツリー(-)
8位 エコポイント・エコ減税関連商品(5位)
9位 ワールドカップ南アフリカ大会(-)
10位 LED電球(15位)
※( )内は昨年順位。(-)は未調査。

 この中で、コンテンツは大したことないが、コミュニケーション戦略が優れていてヒットしたものはあるだろうか? ない。

 しかも、吉崎さんのコラムを引用すれば

ブランドイメージとは、コンテンツとコミュニケーションの掛け算である。掛け算であるから、どちらかがゼロであれば答えはゼロとなる。つまり、いくらすぐれたコンテンツを有していても、それを伝える努力がなければブランドは成立しない。逆にコンテンツが乏しいときは、いくら宣伝にお金をかけたところで無駄なことである。

 さらに、因数分解すると、
{コンテンツ(プロダクツorサービス)}×{(コミュニケーションの質×量)×係数n(普通は小数点以下)}
であるから、相当コミュニケーションで頑張らないとプラスにはなりえないのだ。
 
 コンテンツが悪いのに、コミュニケーション戦略がよくて売れたモノがあったら教えて欲しい。(あ、あるな…w)
 しかし、それは社会正義上は詐欺に等しい。

一部の人たちを常に、そしてすべての人たちを一時だますことはできるが、すべての人たちを常にだますことはできない。
──リンカーン──

 
 コンテンツがマイナスでも、コミュニケーション戦略で挽回できることは──稀に、ある。マイナス×マイナス(いい意味で)は、プラス、というヤツですな。
「ブランドの失墜と復活: 挨拶専用のオススメ。@広告業界志望の就活生向け」(拙エントリー)
http://lisapapa-kitakunikki.cocolog-nifty.com/susume/2007/11/post_4ad2.html
 
 この他にも例えば、今でもP社のWEBサイトのTOPにあるバナーをクリックすると、このページが表示される。
http://panasonic.co.jp/ha/info/important/heating/index.htm
 読者の皆さんは覚えているだろうか? 今からちょうど5年前、年末の(本来であれば電器メーカーの書入れ時に)通常オンエアするはずだったテレビCM、掲載予定の新聞広告に加えて、さらに「これでもか」というくらい広告出稿したことを。
 あれが、よくある不祥事で企業の幹部が頭を下げる会見と比べて、どれくらい効果的であったか。
 
※別に、広告とPRの比較をして「どっちが優れている」とか「有効である」と言いたいわけではない。そんなものは兄弟げんかみたいなもので「お前のカーチャン、出臍〜」と言い合ってるようなものだから(笑)
 先日、facebookでの友人たちとのやりとり。

tom-kuri)違うと思うぞ。「PRが世の中のコンテクストを変えた」ことだってあるじゃん♪ / 水の上を走る http://htn.to/JwWPiV
 
岩見さん)昔とちがうからね。見せたい自分だけじゃなくて、消費者には「全部お見通しだ!」って言われちゃう時代だもん。
 
tom-kuri)それもあるし、そもそも名著『戦争広告代理店』って、広告会社の話じゃなくってPR会社のことですからねーw
 
友人Tさん)communication agency、という意味では同じだと思うんですけどね、外から見ると…

 ほら、やっぱり(自爆)

LOVEとLIKEについて(全文)

朝日新聞天声人語 2010年11月10日(水)から

「LOVE(ラブ)」と「LIKE(ライク)」はどう違うのか。何で読んだか思い出せないのだが、ある説明に感心して書き留めたことがある

 あのね! それは『深代惇郎 エッセイ集』(朝日新聞社刊)に収録されてます。先達の言葉を忘れるとは、いったいどういうこと? 許さん! というわけで全文。
 

「LOVE」と「LIKE」はどう違うのかと聞かれて、「ラブ」は「ライク」より強いのだろうと答えたら「程度の問題ではない、と人に教えられたことがあった。その先生は、「LOVE」は異質なものを、「LIKE」は同質のものを、求めることで、そこが違うのだという説明の仕方をした。
 このはなはだ哲学的な解釈が、言葉の説明としても正しいのか、どうかは知らない。しかし、聞いていて、なるほどと思った。
 
 神への愛であれ、異性への愛であれ、「愛」には不安定な激しさが感じられる。それは、自分と異質なもの、対極にあるものに立ち向かうために起こる燃焼のせいかもしれぬ。これに対し「好きだ」ということには、何かしら安定感がある。自分と同質なもの、共通するもの、同一線上にあるものを知る歓びであるためのような気がする。
 いいかえれば、「LOVE」は、異質な相手と合体することによってはじめて自分が完全になれるという欲求だとすれば、「LIKE」は、自分と同じものを相手の中に確認したい願望だといえようか。
 
「愛」ももっとも深い、本質的な情念にして、人間が造られたのだとすれば、やはり驚嘆すべき造化の妙にちがいない。
 しかし、人間には、もう一つ「知恵」というものが与えられた。知恵があるので、一万メートルの空を飛ぶこともできるし、原子を破壊する秘密さえ知っている。知恵があるので、目標を立て、それを達成するためにもっとも効率のよい組織をつくり、もっとも便利な方法を編み出す。
 このようにして物事を合理的にしてゆくことで、さまざまな問題が起こってくるが、その一つは万物を数字にしてしまうことだろう。数量化しなければ物は合理的にならないが、数字にすれば、一つ一つの持つ意味や質は無視されることになる。
 
 あなたにとってかけがえのない人も、他の人とまったく同じように「一人」として数えられるにすぎない。「小鮒釣りしかの川」も、水量何トン、長さ何キロの川になってしまう。このようにして、人も物もすべてが「統計数字」になり、同質化されていく。
「愛」が人間のもっとも本質的な情念とされたのは、実は、異質のものと対することにより人間は自己発展することができる、という仕組みを内蔵させるためではなかったのだろうか。その意味で、人間の知恵は「愛のない世界」をつくることに一生懸命になっている。
 
 たとえば、日本全体が画一的になり、地方の個性が薄れていくことがよくないのは、旅の楽しさがなくなるといったことからではない。異質なものがなくなることは、愛を喪うことであり、自己発展のエネルギーを失うことになるからである。
 地方選挙で、国政をそのままコピーしたような選挙を見ながら、こんなことを考えていた。

 これが1975年頃の文章。最後の一文は、お約束というか余計なお世話的なきらいはあるが、現在の天声人語子のように「LOVE」と「LIKE」の対比に留まることなく

 しかし、人間には、もう一つ「知恵」というものが与えられた。

と、こうくるところが深代節の真骨頂。

「愛」が人間のもっとも本質的な情念とされたのは、実は、異質のものと対することにより人間は自己発展することができる、という仕組みを内蔵させるためではなかったのだろうか。その意味で、人間の知恵は「愛のない世界」をつくることに一生懸命になっている。

 泣ける!

 この名文を30年以上前に読んでいるから、最近の
> 理想の結婚相手は「3同男」(日経ウーマンオンライン)
http://wol.nikkeibp.co.jp/article/special/20100603/107318/
 などは、決定的に「違う!」と思っている。余計なお世話か(笑)

 この本を復刻してくれたら朝日新聞を許してやる。いや真面目な話。
(追記)
悲しいかな「書き写す」べきなのは今の駄文ではなくて、40年近く前の文章だという朝日新聞の現状w

いわゆる一つの「マーケティング」に関する欺瞞

 よく言う「新しいマーケティング」って、もう何十年も前から謳われていることですが。
 それらの主な骨子は、
・もはや「売らんかな」の姿勢では誰も買ってくれない。
・消費者という言葉ではなく「生活者」という用語を使うべき。
・大衆(マス)ではなく個人(パーソン)にフォーカスしなければならない。
 といったところに収斂されるのではないでしょうか。
 
 でもさあ、極論を承知で言うと。
 マーケティングって、根本は「多くの人に買ってもらうための技術」以外の何者でもないんでないの?
「こんなにいい製品を作りました」「こんな新しいサービスを考えました」「それがあなたのためになると信じています」(だから買ってください!)
 ちょっと前に流行った「ロングテール」だって、結局「小さな売上を積み重ねると大きなビジネスになる」ってことでしょ?
 それが、情報革命のインフラたるインターネットによって実現した、というだけのことで。
 
「広告はラブレター」説についても、たとえば
「ボクはキミのことが好きです。キミのことを大事にします。(だから付き合ってください!)」というのも、
 誤解を怖れずに言えば「自己の独占欲を充足させよう」としているだけではないのでしょうか?
 
 それを悪い、とか間違っているというのではありません。
 それこそ日本国憲法にある、

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする

 ということであり、ミルトン・フリードマンが強調する

文明社会で個人に対して力を行使するのが正当だといえるのはただひとつ、他人に危害が及ぶのを防ぐことを目的とする場合だけである。「資本主義と自由」

 つまり、皆が個人の欲望に忠実に(他人に危害を与えないかぎり)競争することが「社会全体の幸福を実現する最も効率のよい方法である」という人類史上最大の社会的知見なのではないかと思います。
 
 だから、いい子ぶってないでさあ。
「ボクは世界で一番、キミのことが好きです」
(世界中のどんな女の子より君のことが好きで、世界中の男子の中で一番君が好きなのは僕だよ)
って素直に言えばいんじゃないの?
 
 色々と小賢しいテクニックを弄する方がかえってウザったいってこと、あ〜りませんか。
 もっと率直に言うと、
「今どきのマーケッター(情報を送り出す側)は、草食系男子すぎる。もっと肉食系にガンガンとストレートに迫ったほうがよくなくない? ってことです。(おわり)

『デフレ不況』日本銀行の大罪

デフレ不況 日本銀行の大罪

デフレ不況 日本銀行の大罪

 
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20100414#p1
から著者本人のコメント

自分でいうのも恥ずかしいのですが、あえていわせてほしいのですが、いままで書いた政策論争関連の書籍の中では、自身の最高作だと自負しています。

褒めるのが主旨の本レビューwでも、あえていえば「日本銀行の政策を厳しく批判」し、リフレの主張をまとめた本として一番の出来ではないだろうか。

日銀金融研究所から出てくる金融政策にかかわる論文は一様に日銀の金融政策支持であるとあっては、果たして研究所といえるであろうか。むしろ、日銀広報室とか日銀広報局とかいったほうが適切ではないだろうか。
(P56 第1章「日銀の言論統制」から 岩田規久男日本銀行は信用できるか』の引用部分)

日本銀行の独立性というものが政治家やマスコミにおいて大きく間違えて解釈されているのでしょう。深刻な経済危機のときに、政府が中央銀行と政策目標を共有し政策手段でさえ協議することは不思議でもなんでもありません。
(P273「あとがき」)

ミルトン・フリードマン

インフレはいついかなる場合も貨幣的な現象だ

という名言によれば、インフレの「鏡」であるデフレも
“いついかなる場合も貨幣的な現象”に決まっている。
その貨幣を創造し、経済を安定させるのが中央銀行のミッションなのであるから「金融政策において中央銀行の責任がない」などということは、ありあえない。

こんな単純でシンプルなことが広く理解されない、というこは著者の言うように「日銀の言論統制」によるものなのか、あるいは日本人の知的水準が劣化しているのか。本当に心配になってきた(笑)

アシモフの未来史シリーズ一覧(メモ)

1.われはロボット       (1950) ハヤカワ文庫SF535
2.ロボットの時代       (1964) ハヤカワ文庫SF572
3.鋼鉄都市          (1954) ハヤカワ文庫SF336
4.はだかの太陽        (1957) ハヤカワ文庫SF558
5.夜明けのロボット      (1983) ハヤカワ文庫SF1063・1064
6.ロボットと帝国       (1985) 早川書房
7.宇宙気流          (1952) ハヤカワ文庫SF247
8.暗黒星雲のかなたに     (1951) 創元SF文庫
9.宇宙の小石         (1950) ハヤカワ文庫SF577
10.ファウンデーションへの序曲 (1988) 早川書房
11.ファウンデーションの誕生  (1993) 早川書房
12.銀河帝国の興亡 1 (1951) 創元SF文庫 ※
13.銀河帝国の興亡 2 (1952) 創元SF文庫 ※
14.銀河帝国の興亡 3      (1953) 創元SF文庫 ※
15.ファウンデーションの彼方へ (1982) 早川書房
16.ファウンデーションと地球  (1986) 早川書房

SFマガジン参考)
※この3部作については、ハヤカワSF文庫より「ファウンデーション」「ファウンデーション対帝国」「第二ファウンデーション」として出ています。

どうしても(6)が読みたくなって、そうしたら勢いで(16)も読了し、いま(15)。そうなると、(3)〜(5)と(12)〜(14)の古典3部作を読まざるをえなくなり、(10)と(11)の橋渡し遺作も読んでしまいそうな悪寒がw

コミュニケーションビジネスとは、水商売のようなもの。

 通貨(金融)が「空気」のようなもの、だとするなら

既出(http://d.hatena.ne.jp/tom-kuri/20100825から)
「通貨は空気みたいなものです。それがなくては人間は生きていられません。空気が汚れておれば人間は衰弱します。しかし空気をきれいにしても、人間の健康が回復するとは限りません。空気は人間に必要であっても、栄養ではなく、人間が生きるためにはさらに食物をとり水を飲むことが必要なのです。通貨改革をすることは空気をきれいにすることです。」(元ルワンダ中央銀行総裁日記、故服部正也氏)

 コミュニケーションは「水」のようなもの、ではないだろうか。
 よく「日本人は水と安全はタダだと思っている」と言われるが、水道の蛇口を捻れば清潔でなおかつ(比較的)美味しい水が飲める国、というのは確かに珍しいのだろう。 浄水器やミネラルウォーターが一般化した現在でも、やはり「水にカネを払う」意識は、低いように思える。
 この辺が、我が国におけるコミュニケーションビジネスのマネタイズに関して共通点というか、類似点があるのではないか。簡単に言えば、「阿吽の呼吸」とか、また「日本語という障壁に守られたガラパゴス」というか。
 だから、コミュニケーションビジネスも

客の人気によって成り立ってゆく、収入の不確かな商売の俗称。
(天羽先生の「水商売ウォッチング」http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/atom11archive/wwatch/intro.htmlから)

に似ているのかもしれない(笑)

 もっとも。今のわたくしの興味と関心は、
「空気と水のない世界(宇宙)に人類がいかに進出するか?」ということにかかっているので、空気と水の話はどうでもよい(暴言)
 いや、むしろ一番の関心は「生命力を支える美味しくて栄養価の高い食物」なのかも? 単に食いしん坊なだけ!

『LIMIT(1〜4)』フランク シェッツィング

LIMIT〈1〉 (ハヤカワ文庫NV)

LIMIT〈1〉 (ハヤカワ文庫NV)

一般社団法人 宇宙エレベーター協会 大野修一会長 推薦!

http://ameblo.jp/dokugokan/entry-10578596706.html
(↑第1巻を読んだ人の感想、わかりやすい紹介)

『深海のYrr』を書いたフランク シェッツィングの最新作。
「大山鳴動してネズミ一匹↓」だった前作に比べて、さらにスケールの大きい宇宙開発の話。
http://www.shikoda.org/proverb87.htm

なにしろ登場人物の多いこと多いこと。しかしさすがドイツ人、肉食系のスタミナでぐいぐい話を持っていく。ダン・シモンズみたい。そう考えると、きっと本当は村上RYUちゃんが書きたかったであろう近未来小説。「歌うクジラ」は22世紀の話だが、こっちは2025年。宇宙エレベーターは既に完成している! SF史上最速を記録。それだけで凄いw
 
LIMIT〈2〉 (ハヤカワ文庫NV)
第2巻は、ハードボイルド。舞台は2025年の上海。主人公は、サイバー探偵「オーウェンジェリコ」。かっこいい! 息もつかせぬサスペンスとハードアクション(月並みな言葉だなw)。
 
LIMIT 3 (ハヤカワ文庫NV)
第3巻、どんどん面白くなる「近未来サスペンス超大作(本の帯)」。1巻は月の話、2巻は地上の話。3巻で、それが見事に繋がる。宇宙エレベーターではなくて「テロ」で。アメリカのアクション映画のような面白さ。それゆえ、主役が不死身のようなので、ワクワクドキドキしながらも安心して読める(笑)
 
LIMIT 4 (ハヤカワ文庫NV)
第4巻。近未来、アメリカの最大のライバルが中国であることは自明のこと。しかしそれらは、国家・政府間で争われるのではない。主要なプレイヤーは、もはや民間企業グループなのだ。宇宙開発競争も、そしてテロですら。ドイツ作家ならではの、アフリカ大陸まで視野に入れたグローバル展開。腐っても(失礼)栄光のヨーロッパ勢の悪あがきw クライマックスまで、あっという間。

訳者あとがき(p589)から

そして宇宙エレベーターは、アメリカではNASAや民間企業が実用化を目指して開発を進めている。日本でも日本大学をはじめ多くの機関で研究が進められており、一般社団法人宇宙エレベーター協会が情報収集・発信に尽力している。 資金さえあれば、明日から着工できる段階なのである。

月面ホテルでテロが起こって(ネタバレになるから、詳しく書けないけど)招待された資産家のゲストの会話。(P458から)

 「あんたは投資するつもりなのか」
 「だめなのか?」
 「こんな大災難のあとで?」
 「だからどうだというのだ。タイタニック号が沈没したから、
  人類は船を造るのをやめたのか」

人類は未熟な進化の鬼子なので、過ちや争いはきっとなくならないだろう。しかしそれでも「新しいものを造り続けてきた」のが人類の歴史であるのだから、未来もそうあるべき。もしもそれができないのなら、太陽系のちっぽけな惑星の表層で「エコ」と叫んで、縮小再生産を繰り返して滅びるだけ。どうせいつかは(1億年以上栄えた恐竜がそうであるように)人類も滅びるか新しい種に進化するしかないんだから、チャレンジする方に1票!(民主党代表選挙は、まるで逆?w)

まあ、不朽の名作SFとは言えないけど、荒唐無稽のハリウッド製アクション大作を観に行くより、コストパフォーマンスは高い。