コミュニケーションビジネスとは、水商売のようなもの。

 通貨(金融)が「空気」のようなもの、だとするなら

既出(http://d.hatena.ne.jp/tom-kuri/20100825から)
「通貨は空気みたいなものです。それがなくては人間は生きていられません。空気が汚れておれば人間は衰弱します。しかし空気をきれいにしても、人間の健康が回復するとは限りません。空気は人間に必要であっても、栄養ではなく、人間が生きるためにはさらに食物をとり水を飲むことが必要なのです。通貨改革をすることは空気をきれいにすることです。」(元ルワンダ中央銀行総裁日記、故服部正也氏)

 コミュニケーションは「水」のようなもの、ではないだろうか。
 よく「日本人は水と安全はタダだと思っている」と言われるが、水道の蛇口を捻れば清潔でなおかつ(比較的)美味しい水が飲める国、というのは確かに珍しいのだろう。 浄水器やミネラルウォーターが一般化した現在でも、やはり「水にカネを払う」意識は、低いように思える。
 この辺が、我が国におけるコミュニケーションビジネスのマネタイズに関して共通点というか、類似点があるのではないか。簡単に言えば、「阿吽の呼吸」とか、また「日本語という障壁に守られたガラパゴス」というか。
 だから、コミュニケーションビジネスも

客の人気によって成り立ってゆく、収入の不確かな商売の俗称。
(天羽先生の「水商売ウォッチング」http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/atom11archive/wwatch/intro.htmlから)

に似ているのかもしれない(笑)

 もっとも。今のわたくしの興味と関心は、
「空気と水のない世界(宇宙)に人類がいかに進出するか?」ということにかかっているので、空気と水の話はどうでもよい(暴言)
 いや、むしろ一番の関心は「生命力を支える美味しくて栄養価の高い食物」なのかも? 単に食いしん坊なだけ!