地球温暖化論、現時点での正しい理解。

横浜国立大学 中西準子教授のホームページ、雑感458から

今年(2008年)の話題は何と言っても、地球温暖化問題。洞爺湖サミットに向けての異常なまでの温暖化問題への盛り上がりと、その後の潮を引くような動きに、ただただ呆然。盛り上がりがすごかったがために、多くの論調には無理があり、やや冷静になる時期がくるだろうと想像はしていたが、この退潮ぶりは私の想像を超えるものだった。
そういう動きの伏線として、温暖化の影響や、温暖化対策に対する疑問を呈した本、通称“懐疑本”が沢山出版され、飛ぶように売れたのも、今年の特徴だった。

として、米国と英国での調査-地球温暖化アンケート結果をレビューしている。

米国では、回答者数1707通、質問項目が240あるというから、すごい調査である。地球温暖化を大きな問題と受け止めるか否かが、政党支持率と大きく関係しているというのが面白い。民主党支持者は、温暖化問題を重要と受け止めている人の比率が高い。
地球温暖化を、1)現実に起こっていて、2)人為的に引き起こされたもので、3)帰結は人類に有害と思っている、つまり、この3つの文章をすべて認める人は全体の18%であったとのことである。
他方、英国での調査は回答者1039人で、気候変動を心配しているが、少し心配も含めると、77%に達しているが、「多くの科学者が気候変動は人為活動起源ということを疑問視している」に6割りが同意しているとのことである。

そうして、中西先生ご自身の印象を述べていて、

人為起源の二酸化炭素が温暖化をもたらし、それが大きな災害を引き起こすという説明について、専門家(環境問題だけでなく所謂学者や研究者)と一般の人を比べると、圧倒的に専門家が疑問を持っていて、一般の人の殆どは信じている。
企業関係者と専門家を比べると、企業関係者はビジネスチャンス、或いは、温暖化対策をしなければ生き残れないという感じが強く、上記説明を心から信じているかどうかは分からないが、疑問は呈さない。ひたすら、その説明に合うように動いている。専門家とは相当異なる。一般市民の反応と近い。
専門家の中で、自然科学と社会科学の専門家で比べると、自然科学や工学の専門家は、環境科学の専門家を除き、ほとんど全員が怪しげだという意見を述べる。社会科学、人文系の学者の相当数は疑問を述べない。一般的にはそうだが、社会科学、人文科学者の中に、新しい動きがある。

ダイオキシン環境ホルモン問題と比べて違う動きが、文系の学者の間にある。」と指摘している。

雑感460「環境問題に対する無力感−学生のエッセイ(その2)」でも、

ただよう虚無感、無力感
環境問題についての学生達のエッセイの中に、無力感や虚無感が色濃く漂っていることを強く感じた。学生の文章で、こういうのは初めてである。どうしようもないととらえている感じ。
また、企業が悪いとか行政が悪いと書いたのは一人しかいなかった。米国が問題と書いたのが他に一人、「無知な奴がいて」みたいな書き方の学生が少し、ほとんどの学生が責任は自分にあるという前提で文章を書いている。これが、社会人の集まりとの大きな違い。
そして、温暖化について、皆が悩んでいるのがはっきりと分かった。
Gore さんが書くような、また、演説するような内容、つまり、温暖化が起きると、ツバルがどうなるとか、海水面がどうなるとか、こういう内容を”Gore message” とよぶことにすると、学生達には、”Gore message”はよく伝わっていて、皆知っている。そして、受け入れている。
では、どうするかで悩んでいる。本当に効果があるか、それが知りたい、何が効果があるか知りたい、できることを教えてほしい・・・相当真剣で、悲痛とも受け取れる声だった。
Gore Messageを強調しても意味がない
Gore messageの時代は終わった(私の裁判を思い出す)。Gore messageは十分知っている。地球が破滅みたいな話しは、大袈裟に言えば言うほど、むしろ知性ある若者をして、どうしようもないという気持ちにさせている。
学生達が求めているのは、本当に効果的だと思える対策は何かということである。その評価方法である。
企業の広告はすべて“エコ”で埋まっているが、別に、環境問題が解決に向かっているわけでもない。企業の広告や行政の政策の説明には、エコと省エネが氾濫しているが、京都議定書を守ることすらできないこの“エコ”とは何かと考えるのは当然である。途上国に対策を求める権利が自分たちにはないと多くの学生達は思っている。
学生達が知りたいと思っているのは、より正確な温暖化予測ではなく、対策の効果である。政治家や行政担当者は勿論だが、科学の研究者や大学の先生もこのことを真剣に考えた方がいいと思った。学生のエッセイを読んでいる時、環境学部から学生が一斉にいなくなる、そういう光景が一瞬目に浮かんでしまった。環境学部や環境学研究科が、学生のこういう要求とあまりにもかけ離れた講義をしているからである。

何故、こういうごっちゃにしたことが起きるか?
それは、温暖化による危機を訴えることで、すべてを乗り切ってしまおうとするからである。Gore Messageに頼って、自分のやりたいことをやろうとする。ここにウソが発生するのである。私は、これがいけないと思った。水素エネルギーにしても、バイオマスにしても、それぞれ意味があり、違った意味がある。しかし、エコとひとくくりにするには無理がある。そのことが、環境対策に対する信頼を失わせている面がある。学生達には、それが見えるのだと思う。

さすが。分かっている人には分かる、ということ。
そういうイミでは、ここ↓(再度引用)

企業関係者はビジネスチャンス、或いは、温暖化対策をしなければ生き残れないという感じが強く、上記説明を心から信じているかどうかは分からないが、疑問は呈さない。ひたすら、その説明に合うように動いている。専門家とは相当異なる。一般市民の反応と近い。

企業関係者(マスコミも当然含む)の罪は大きいと感じた。(自戒を込めて)