大人になる、ということについて

(旧)成人の日に、考えてみたよ。
この言葉には、2つの側面があって……。「大人」(名詞)になる、というのと、「大人になる」(動詞的な)面の2つである。
「成熟する」と「成長する」と言い換えてもよい。社会が複雑高度化する中で、その集団に適応するためには相当の時間がかかることも事実だし、寿命が長くなり、高齢になっても高いレベルの生活文化活動が維持できるようになったので、相対的に「大人度」の度合いが低く見えてしまう面はたしかにある。成熟する、という視点から見た場合には。逆に「成長する」という側面においては、死ぬまで成長することが可能になってきたわけで、それはそれで幸福な社会ではないかと──非常に楽観的ではあるが──考えている。そのために、世界が平和で、社会が「持続可能な」成長を続けることが条件なのだけれど。「常に努力するところの物語を見られたい」(ロマン・ロラン)。そのような「大人になりたい」と思うのだ。

(ご参照)
彼方の「大人」と「小人」の我を考えさせる成人の日:千里一隅(せんり・いちぐう)
極東ブログ 成人の日に
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