毎年が「変」なの!

たまにはブログらしいことを――日本漢字能力検定協会が発表した、2008年「今年の漢字」は「変」について――書いてみる。
12月13日の天声人語にはこうある。
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▼京都・清水寺奥の院森清範(せいはん)貫主の大きな墨跡をテレビで拝見し、「チェンジ」を唱えた次期米大統領、毎年違うわが首相、激動の相場やガソリン価格などが浮かんでは消えた。漢字の発信力だ▼種明かしをせずに書き始めても、「亦」まででピンと来る人が多かろう。今年が「恋」のはずもない。ただ、変と恋はまんざら無縁でもないらしい。共通する「亦」は、旧字では糸がもつれる様を表す。もつれてに違う状況なるのが変、好きな人に心もつれて恋である(加納喜光『似て非なる漢字の辞典』東京堂出版)▼もつれ、ほぐし、希望が生まれる。変わることを恐れては、足元の情けない現実は微動だにしまい。よろず激変の年の瀬に、世直しという言葉をかみしめる

補足すると、「亦」は跡のつくりでもあるように「(跡に)のこる」ことでもある。心が残るから「恋」、そして「変」の部首は「ふゆがまえ」といい「起こる(違う状況なる)」ことを指す。つまり「後で起こる」ことが「変」ということであり、常に万物は変化するということ。つまり、それは大自然の摂理であって「この世の中に不変なものはなにもない」だたそれだけのことだ。
同時に「変」の部首が「冬構え」であることから分かるように、冬とは一年で最も寒い季節のことで、二十四節気のひとつ(今年は12月21日)冬至とは「一年でもっとも昼が短く、夜が長い日」のことである。「冬至」を暦の始まりとする時代や地域は多く、クリスマスも「北ヨーロッパ冬至の祭と融合したものといわれる」(参照:気になることば「冬至」にまつわる話
なぜ一年の始まりを冬としたか、については諸説あるが「この日をさかいに日照時間が延びるため、太陽の力・生命力が復活する節目として古くから祝う風習がありました(同上)」というのが一番分かりやすい。そう、いかに寒い日々が続いても春が来ないということはない。陽は沈み、再び昇る。明けない夜はない。どんなに降り続いても止まない雨はない。一年という期間は、地球が太陽の回りを一周する時間のことだが、どこを区切りにするかは人間が決めたことで、それを最も日照時間の短い(北半球では)季節にしたことは人類の叡智の表れなのだろう。
新しい地球号の周回に乾杯しようではないか。
(ご参照:拙ブログ)『広告業界就職フォーラム』挨拶専用ブログ: マメ知識(11)なぜ1月1日に1年が始まるのか?