「血液型と性格には関係がない」ことを証明する必要はない。

 結論から言うと。証明しなければならないのは「血液型と性格には関係がある」と主張する人たちなのでR。どうゆうことかと言えば…

「○○は存在する」「△△と××には相関がある」ということを証明するためには、(はせぴー先生いわく)

雑多な変動現象の中から帰納的に規則性を見い出そうと、仮説のもとに地道にデータを集め、ある特徴について明らかに相関関係を示すようなデータが安定的に得られた時に初めて

成立するか、もしくは

誰もが認める公開の場で、実証するしかありません。

 たとえば。普通、クイズ番組で(YESorNO形式の場合)に「かつて○○という人が実在した」とか「△△と××には深い関係がある」という問いの答えは、常に「YES」なのであります。「存在しない」「関係がない」ことを証明することは不可能だからです。

「UFOは存在する」。これは事実です。なぜならUFOとは「未確認な飛行物体」のことで、それは過去の事実として記録されているからです。しかし「UF0には宇宙人が乗っている」ということについては、今だかつて万人が認める証拠は存在しません。
「人類以外の知的生命体が存在するかもしれない」ということは否定できませんが「いる」ということが実証されない以上は「とりあえず、未確認である」とするのが科学的にも常識的な態度でしょう。

「神の存在を信じる」。これは誰も否定することはできません。それは、個人の神聖な権利だからです。ですが、同時にそれを他人に強制することは出来ないのです。信じようが信じまいがそれは主体的なモンダイですから。
 血液型性格判断が、星占いや他のそれと比べていちばん害悪だと思うのは、それが人体的・科学的な装いを持ちながら他人を峻別しようとするところなのです。

人類は、肌や髪や瞳の色は違っても同じ一つの「種」です。そしてまた、人間は一人一人違う「かけがえのない」存在なのですから。