新年にあたり抱負を述べておく件について

 たしか手塚治虫の『ブッダ』だったと思うが、殺人を行わないよう諭す説法においてブッダはこう言ったはず──もしお前が人を殺したいと思ったら、こう考えるがよい。目の前に憎い人間がいても、その者はお前が手を下さずとも必ずいつか死ぬのだ。大切なことは、お前がより良く生きることなのだ──と。

 人間に欲望や嫉妬心があるかぎり争いは絶えることはないだろう。また、たとえ平和がおとずれたとしても自然の脅威の前には人類も一つの種にすぎない(そのことを最近また思い知らされたわけだが…)。先日読んだ新聞の人生相談でも「私には小さい娘がいますが、こんな世の中で子育てが不安でなりません」という声が寄せられていた。

 つまり、大きな世界を前にして一個人が一生の間に実現できることはあまりにも少ないし、家族という最も小さく強固な単位であっても守りつづけることは困難な時代なのだ、ということだろう。自由社会といっても何不自由なく誰もが幸せになる保証はない。選択肢は実は限られている。

 しかしよく考えてみれば、昔からずっとそうだったのだ。さらに、人類の文明が生まれる太古の昔から、地球という惑星上で幾度となく繰り広げられて来た「大絶滅」を超えて、今の自然環境と多様な生命が存在しえていることが最新の科学によって証明されてきている。

 昨年末、ある講演会で会社を独立して新しい事業を始めた後輩が言ったことを思い出す。
「どっちが正しいかを考えるのではなく、自分の選んだ道を正しくする」──その方が生産的で、精神的にも健康ですよ──と。

 結局、やりたいことをやるしかないのだ。え、それが見つからないって?
 いや、きっとあるはず。たとえば、「美しい詩をつくり、だれかを愛し、生きるよろこびを知ること」とか。どうすればいいか分からないだって?
 それためには──「正しく」見て、考えて、語って、行って、生活して、努力して、思念して、精神を安定させる──2500年前からインドで言われていることだ。そんなの一生できないって?
 普通の人はできません。だからいいんじゃない(笑)
「その努力するところの内的な物語を見られたい」(ロマン・ロラン

 会社に文句を言う前に自分がちゃんとやろう。
 社会に不満があるのだったら、自分でなんとかしよう。
 会社も社会も自分を取り巻く「環境」だが、その中には当然「私」も含まれているし、世界の中心は常に「私」なのだ。それぞれの内的な世界では。“only if you want to.”