finalventさんの日記が素晴らしい件について

異義 毎日の社説「少子化 小ぶりでも豊かな国に」についてのコメント。

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 これもなにがいいたい社説かわからない。少子化でもいいではないかということか。もちろん、それでもいい。じゃ、現状ママでいいのか? というとそこが何を言いたいのかわからない。

 単純な話、少子化なんか対策なんかできない。これは前提となる当たり前のこと。だが、少子化が進む社会、というか、子供を子供(複数)として育てない社会は不自然なものだ。子供というのは子供のつながりのなかで生きるものだ。みそっかすを年長がかばったりとかそういうつながりも覚えなくてはいけないし、大人たるものが一人の子にかかりきりというのもダメだ。昔のように8人も産めとはいわないが、自分の子供がどう多数の子供と関わるかの目配せがない大人はダメダメ。それでは自己のレプリカ欲望が出てしまうし、実際そうなりつつある。子供というのは自己のレプリカではなく、自分が死んでいく世界に残す希望と愛の象徴なのだ。


 特に最後の一文を、心にもメモしておこう。
 その後のコメントも良い。

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finalventさん
『tom-kuriさん、ども。いずれ私たちは死んでいきます。自分自身の子供でなくても子供たちにこの地球を安心して委ねるというか、なんというか、私たちの墓場はこの地球なのですよね』
碧さん
『我々もこの世の中に残された希望と愛として育まれたということをつい忘れがちになることを自戒します』
finalventさん
『碧さん、ども。ええ、そうですね。世代によって違いはあるのかもしれませんが、私(1957年)生まれの父母の時代は生きること、子供を食わせることに必死な時代でもありました』


 そういう意味では、前に書いたけどhttp://www.review-japan.com/factory/p.html?AID=1046&MODE=3&ID=32421&GENRE=
AC公共広告機構がやってる「自分の子供を抱きしめよう」キャンペーンには異議があるんだよなあ。
 つまり、ああいった「親とこども」という二人だけの関係に閉じ込めてしまうことが問題なのであって、抱きしめれば解決というような話ではまったくない。こどもは誰のものでもない、あえて言えばみんなの「社会の宝」であって、開かれたコミュニティ、野原、グランドにいるべき、置くべきな存在なのです。全然わかってない!(再録)

 別に作った(H…とかいう)会社が嫌いなわけじゃなくて。あ、やっぱり嫌いか(笑)