死者はかぞえることはできない(悔やんでも悔やみきれない)

 1年半ほど前に『ジャスミン』という小説を読んで、レビューを書いた。

ジャスミン (文春文庫)

ジャスミン (文春文庫)

 その拙レビューから。

 物語のクライマックス、主人公とヒロインは阪神淡路大震災に遭遇する。
「(ラジオ)死者は千人を超えたもようです」
 李杏が泣き出した。
「どうして? どうしてかぞえるの? 死者はかぞえることはできないわ!(中国語)」(P428)
 このヒューマニティだけが、人類を支えていくのだ。

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 大震災や、大事故、そして戦争などが一層悲惨なのは、多数の死者が出ることによって、一つひとつの「命」が希釈化されるような錯覚に陥るからだ。親しい方が亡くなった時、お通夜や告別式やその他さまざまな行事によって、はじめて人は「辛さ」を共有して、それを軽減することができる。
 ところが、一刻に多くの死者が出ると、かけがえのない「命」も、単なる「数」の一つになってしまう。
東日本大震災で亡くなられた方々を心からお悔やみ申し上げます」と述べても、その失われた生命を考えると絶句せざるをえくなるのはそのためだ。
 さらに、行方不明者の多さ。阪神淡路大震災で亡くなられた方は6434名だが、行方不明者の数は3名に過ぎない。「津波震災」である<東日本大震災>の痛ましさがここに象徴されている。

 誰かが書いていたけれど、明日は満月。「スーパームーン」なんて縁起の悪いことは言わずに、節電で暗い夜、いちばん大きな月と明るい夜空に心から祈りたい。同じ月を見ている被災された皆さんのことを。亡くなられて、星になってしまった多くの魂が安らかであることを。