「員数」ではなく「人々」

2回連続で天声人語ネタ。2009年8月15日(土)付から

 人はだれも名前を持ち、どの死者にもその名で営まれた人生がある。おびただしい犠牲を出したシベリア抑留から生還した詩人の石原吉郎は、「死においてただ員数であるとき、それは絶望そのものだ」と書き残した▼「人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなくてはならない」と述べ、大量殺戮(さつりく)を「数の恐怖」としてのみとらえることは許されない、と記した。酷寒と重労働のソ連強制収容所で、名もない無残な死を見た者の、怒りと鎮魂の筆だったに違いない

 親しい人が亡くなり、葬儀に参列したとき、ふと思うのは「一人の死を皆で受け止める」ことのできる有難さだ。大事故や災害、そして戦争で命が失われた場合の「かけがえのない命」の希釈化ほど、遺族にとって辛いことはない。人は「家族の一員として産まれ、家族の中で生涯を終える」のが本来の姿だろう。
 
全国戦没者追悼式 天皇陛下おことば(全文)(毎日新聞)から

 本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
 終戦以来既に64年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。
 ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

 シンプルで、よい文章だー。「国民統合の象徴」である、この人にしか語れない言葉。
 
(蛇足)
この人の話は、こう始まる……

先の大戦では、300万余の方々が、

しかも、読み間違えるし(笑)

「国際平和を誠実に希求する国家として、世界から一層高い信頼を得られるよう、全力を尽くしてまいります」の「希求(ききゅう)」を「ききょう」と読み間違えた。