村上龍、巧いねえ。文章が(引用+コメントのみ)

[JMM]From 村上龍 〜編集長エッセイ〜/村上龍
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/title24_1.htmlから

 先週からはじまったウインブルドンで、久しぶりに伊達公子のテニスを見て、90年代に引き戻されるような不思議な感動を覚えました。もともと伊達は、対戦相手が強い選手であればあるほど良いプレーをします。モチベーションと集中がより高まり、彼女の最大の特質・武器である「ライジングショット」がより威力を発揮するからです。

 伊達は世界トップクラスの選手に比べると、特別に強いショットやサービスを持っているわけでもなく、ネットプレーが巧みなわけでも、スタミナや脚力に勝っているわけでもありません。ただし伊達は、他の選手には絶対に真似のできない「ライジングショット」と、それを使いこなすための「集中力」を持っていました。

 ライジングショットは、ワンバウンドしたボールが最高点に達する前に、打点を前方に置き、早いタイミングで打ちます。むずかしいショットですが、強く速いボールを打ってくる相手に対して非常に効果的です。相手選手は、予測できないタイミングとスピードでボールが打ち返されてくるので、対応に困るわけです。そのショットを駆使して伊達は、96年ウインブルドンの準決勝で、最強の女王だったドイツのシュテフィ・グラフに勝ちそうになりました。日没順延にならなければ伊達が勝っていたと、今でもわたしは信じています。

 伊達のライジングショットは驚嘆すべきものです。他のどんな選手でも、同じようなショットを打ち続けることはできません。1回や2回なら打てるでしょうが、打ち続けることはできません。それは、異常とも言える、高度な集中を要求するショットだからです。

 相手のショットを読み、細かいステップを踏み、集中を持続させる強い精神が必要で、しかもジュニアのころからそういった訓練を経ていなければ絶対に打てません。26歳での、伊達の早すぎる引退は、体力の衰えではなく、独特のショットを支える精神力が「切れた」ためだというのが、わたしの個人的な感慨でした。だからわたしは昨年の復帰にも驚きはありませんでした。「やり残したことがある」ような気持ちがずっとどこかに潜んでいたのだと思います。

 世界ランク9位の18歳を相手にした伊達のプレーは、素晴らしいものでした。レシーブのとき伊達は、脚を深く折って低い姿勢で構え、集中心と闘争心がにじみ出るような、印象的な表情を見せます。その表情は10年以上のブランクがあっても健在で、わたしは祈るような思いで、ゲームを見続けました。伊達の試合は、対戦競技にしかない興奮があり、必ず感動します。それは、ゲームの結果だけではなく、ライジングショットを打ち続ける彼女の精神力を見ているからです。この精神力はいったいどこまで保つのだろうか、という心地よい緊張を強いられるからです。伊達公子のような選手は、今後100年経っても、2度と現れないのではないでしょうか。

こういう文章は、そこら辺のスポーツ記者には書けない。さすがだ〜