『アラバマ物語』(To Kill a Mockingbird)


アラバマ物語』(To Kill a Mockingbird)ハーパー・リー著、暮しの手帖社刊。
この作品について語るには4つぐらいの視点がある。1つは「旧き良きアメリカ(しかも田舎)」の、家族の愛と友情の物語であるということ。2つめは、1930年代のアメリカ南部における黒人差別の問題を扱った社会派の作品だということ。3つめ、1の友情と関係があるが、この小説の主人公「スカウト」(著者ハーパー・リー)が、2006年の映画「カポーティ」に登場する「ネル」となり、スカウトの幼なじみ「ディル」がカポーティであること。
4番目は、裁判制度とくにアメリカの陪審員制度を描いて弁護士の使命と勇気を余すところなく表現している点だ。これから引用する箇所はこの名作のハイライトでもあるが、写真でも分かるとおりアメリカのペーパーバック風のこの本は、399頁2段組という結構な分量で、菊池重三郎の古風な訳もあって決してすらすら読める本ではない。今時の新訳を期待したいところではある。なので、拙レビューで推薦しても実際に手に取られる方は多くはないかもしれないから、スカウトの父「名弁護士」アティカス・フィンチの最終弁論を全文紹介する。(P289から)

「終わりに、みなさん、もう一つだけ。トマス・ジェファスンはかつて、万人は平等に作られていると申しました。紀元1935年の今日では、一部の人たちは、この言葉だけを勝手に切りはなして、いろんなことにあてはめている傾向があります。私のおもいつくもっともばかげた例は、教育者が、あたまのにぶい怠け者を――万人は平等につくられているからと、勤勉な者といっしょに進級させることです。教育者たちは取りのこされたこどもたちが、ひどい劣等感を味わうからと真剣にいうでありましょう。
 しかし、べつの考え方からいえば、万人は平等につくられていない、それを認めないわけにはいきません。――ある人はほかの人よりかしこく、ある人は生まれながらに「運」がよく、ある男はほかの男より富をつくり、ある婦人はほかの婦人よりおいしい菓子をつくります、――ある人は、ふつうの人以上の才能を持っています。
 しかし、この国で、万人が平等につくられているということを示すところが一つだけあります――貧乏人もロックフェラーも同等であり、おろかな男もアインスタインも同等であり、無知の男も、どんな大学の学長も同等に扱うところが一つだけあります。みなさん、それは法廷であります。最高裁判所であろうと、片田舎の粗末な治安判事の法廷であろうと、あるいはまた、あなた方がいま陪審員になっておられるこの名誉ある法廷であろうと、すべて同じであります。
 もちろん法廷にも、他の機関とおなじく、欠点はありましょう。しかしこの国の法廷は、偉大な平等主義でつらぬかれています。われわれの法廷においてこそ、万人は平等につくられているのであります。――
 私はわれわれの法廷の形式や陪審制度を、そのままうのみにしている観念論者ではありません。――法廷は私にとっては観念ではなく、生きて動いているものであります。みなさん、法廷とは、私の前に、この陪審員席に座っていらっしゃるあなたがた一人一人なのです。法廷が健全かどうかは、陪審員によってきまり、陪審員が健全であるかどうかは、それを構成している一人一人できまります。あなた方は、必ずや、おききになった証言を感情におぼれることなく、よくしらべて決定を下し、この被告を家族のもとへお返しになることを、かたく信じております。神の御名にかけて、本分をおつくしいたただきたいとおねがいいたします」……

来年からわが国でも裁判員制度が始まる。指名された方は必ずこの名作を読んでくださるよう、お願いしたい。読むのが大変なら同名の映画もでているようだし。
アラバマ物語 - Wikipedia
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