「情報」は共有されて価値がでる。

思いつきで書くエントリー(きのうのつづき)

言葉はどのようにして始まったのでしょうか? 遥か昔、ある一人の天才が発明したのでしょうか?
違いますね。少なくとも二人以上が理解していなければ「通じ合う」はずがないのですから。そこが、火の発見や道具の使用と決定的に異なるところです。言葉を発明した者が優位になり競争に勝ち残ったのではありません。

はじめに言葉あり、言葉は神と共にあり、言葉は神なりき。(マタイ福音書

言葉を獲得して、人は「神の子」となったのです。

「情報」も言葉です。ある情報が意味を持つのは、それが他者に伝達され、記憶されて初めて機能した時です。「俺ってこんなことも知ってるんだぞースゲーだろ」というのは、あくまでも他者より早く考え思いついたということを記録によって周囲に確認された場合に限ります。大きく広く共有された情報(円)の発信者(中心)が、尊敬と利益を得ることができるのです。ただ持っているだけでは何の意味もありません。これが、他の財・サービスにはない特性なのです。

インターネットにより情報の共有と伝播が(ほぼ)光の速度で実現された今こそ、その意義が分かるはずなのですが。
皆が知りたい情報に、より価値があるのです。少数にしか必要ではない情報には伝播力がありません。価値を高めるのは、情報の量と速度です。需要−供給曲線が適用されない理由がここにあります。

ちょっと言語に話を戻しますと。地球上で一番多く使用されている言葉は中国語ですが、最も有用とされているのは英語ですね。その差はどこからくるのでしょうか。私は「多様性」だと思います。どれだけ広い地域で使われているか、単に話す人間が多いだけでは情報の価値が高まることはないと。

ノイズを減らして、ニーズをつかんで、メッセージを広く多くリリースする。コミュニケーションの仕事って面白いですね。