WBC雑感

日本選手諸君の健闘はもちろん、王監督の偉大さやイチローの志の高さについての賛辞は多く語られているので、ここではふれない。感じたことを3つほどメモしておこう。

1)キューバという国。
 行ったことはないので良く分からないのだが、選手や監督そしてハバナ市民の声を聞いていて「素晴らしい人々だな」と思った。
 試合当日の朝、ニッポン放送を聞いていて現地(ペトコ・パーク)からのレポート。記者席が当然キューバの放送局と並んでいるので話を聞いたところ、彼らのコメント。

「スポーツだから、最終的にベストなチームが勝つだけのこと。正々堂々と闘ってベースボールをエンジョイすればいい。(勝っても負けても)キューバと日本の友好関係になんら影響はない」

 試合後、ハバナの市民の声。

「日本は強かった。いいチームだ。キューバの選手も良くやった。我々の誇りだ」

 そして、ベレス監督。

「まず日本チームにおめでとうを言いたい。金メダルは誰かがプレゼントしてくれるのではなく、獲得するのが難しい。キューバは金メダルに手が届かなかったが、満足です。この場にいられるのは、皆さんのリスペクトや思いやりの気持ちだと感謝しています」

 完璧だ。メディアも市民も監督も。それに比べて我が国の、メディアや市民の品のないことよ。かえりみてこれらに匹敵するのは王監督の言葉のみ。世界で唯一成功した社会主義国民度の高さに感心した。


2)ワールドシリーズとワールドカップと。
かんべえ氏の日記から

アメリカ人が毎年秋に楽しみにしてきた「ワールドシリーズ」は、もうワールドシリーズとは呼ぶべきではない。MLBが10月に行なうアメリカンリーグナショナルリーグの決勝7戦勝負は、「秋のクラシック」とか「MLBチャンピオンシップ」と呼ぼう。もう「ワールドシリーズ」と呼ぶのは止めよう

 それもこれもサッカーのワールドカップインパクトがあったからだと思う。オリンピック競技から外れたことも、その余波でしかなく。スポーツをメジャーにする方法というのは、こういった王道しかないのだろう。やはり小手先の利権にとらわれていてはダメだ、ということだ。


3)スポーツ、スポーツ、スポーツ!
 WBC決勝、平均視聴率43.4%、優勝の瞬間は56.0%、番組視聴占拠率は72.7%、テレビをつけていた家庭の4軒に3軒近くが野球中継を見ていた計算になる。実際、試合中に用事があって近所のスーパーに行ったところ、客の(特に男性の)少ないこと少ないこと(笑)
 考えてみれば、これほど人を熱中させるスポーツの魅力は何なのだろう。結局「あらゆる動物の中で、スポーツするのも見るのも人間だけ」ということではないだろうか。ちょっと話はそれるが。
 吉田満『散華の世代から』

戦争を構成する個々の接点には、人間性の昂(たかぶ)りがある。あえていえば、生命の充実感がある。人間が自分の生に執着するかぎり、そこに必ず生れてくるような、気力の燃焼がある。このような昂りを、そのまま肯定するというのではない。このような昂りを含むからこそ、戦争はいっそう悲惨だといいたいのである。

戦争の一瞬一瞬に賭けたこの充実感は、紙一重で、それにそのまま陶酔しやすい危険につながっている。もともと、戦争と人間とは、密接に結ばれすぎている。闘争、組織、協力、任務の遂行、至上目的のために他のいっさいを無視する決断―戦争を形作るこれらの行動原理は、いずれも人間の本性をとりこにする魅力に満ちている。

こうして戦争の中の個別の生命が持つ充実感は、戦争の悲劇をいっそう過酷なものとしてきた。それが戦争目的のためではなく、平和のために捧げられたならば、どれほど多くの実を結んだであろうような勇気と忍耐とが、巨大な虚無のために浪費されたのだ。

 たとえばオリンピックが平和の祭典であるということが単なるお題目でないことは歴史的に明らかであるように、
「闘争、組織、協力、任務の遂行、至上目的のために他のいっさいを無視する決断」を発揮できる戦争以外の行為がスポーツなのだと思う。それが人を熱中させ、感動させるのだ。

「スポーツだから、最終的にベストなチームが勝つだけのこと。正々堂々と闘ってベースボールをエンジョイすればいい。(勝っても負けても)キューバと日本の友好関係になんら影響はない」

 キューバ記者の言葉をかみ締めたい。