Googleに未来はない。

 もちろん、はてなにもミクシィにもない。ヤフーにもないし、ニフティにもない。別に企業価値とか事業の将来性について述べようというのではない。インターネットの中に「未来」はない、ということだ。netにアップされたとき、すべての情報は過去のものになっている。さらに厳密に言えば「現在」ですらない。リアルライブカメラの映像でさえ、デジタルで圧縮−電送−解凍されたとき僅かなディレイが生じている。その意味で、アナログ放送の速さの方が限りなく光のスピードに近いといえる。将来、コンピュータが未来を高い確度で予知できるようになるかもしれない。が、それはSFの世界だ。

(ちょっと引用) 未来は予測するものではない、
1)選び取るものである。(ヨアン・S・ノルゴー:デンマークの科学者)
2)未来は創造するものである。(アラン・ケイ
僕は2の方が好きだな。

 そう。僕がSFを好きなのは、サイエンス(「これこれが分かった。すると、これができるはず」)とフィクション(「かくあれ」または「こうあってほしい」「こうだと面白い」)にのみ「未来」があるからだ。ヒトは直立歩行するようになったサルの仲間だが、立ったことにより声帯が喉の奥に下がって言葉が話せるようになり、手を自由に使えるようになって道具を発明することができ、文字や絵をかくことが可能になった。そして言葉によって思考することで、将来を予測し、夢を見て、自らの手で未来を創ってきた。それが人類の歴史である。
 netそのものは、データベースでありインフラであり、ファウンデーションに過ぎない。道は人を前に進ませることはできるが、道自身が未来を創造することはない。 「YouTube」は面白いし刺激的なサイトだが、それが楽しいのはコンテンツであり、真に尊敬され報酬を得られるのは、オリジナルな作品をつくった者であるべきだ。

 未来をつくるのは、クリエーティビティ(創造力)とアイデア(夢や理想)を持った人間だけだ。だから、Googleであれなんであれ、netなんか使い倒せばいいし、どんなにサービスが増えても、データベースが蓄積されてもなんら恐れる必要はない。Googleの中に「未来」はない。この世界は、僕らが(協力して)創り上げていくものなのだ。