「好きなこと」を仕事にする? (転載2つ)

http://homepage1.nifty.com/simplechic/human122.htmlから

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好きの中の嫌い

NHK朝の連続テレビ小説てるてる家族”の主人公、岩田冬子は、宝塚音楽学校を卒業しますが、実家のパン屋さんでパンを焼くことが一番嬉しかったことに気付き、パン職人の道を選択します。一見華やかな舞台の世界よりも自分が真に好きでやりたい仕事を選んだのです。しかし、好きなパン作りの仕事なのにどうしても早起きだけは苦痛のようです。
実際社会では、好きなことが見つかってその仕事につけば即人生ばら色というわけにはいきません。人間に会うのが好きで、営業活動が得意なビジネスマンでも、その仕事は多岐に渡っています。営業戦略の企画立案、伝票や報告書を書いたりするデスクワークがあります。 またもし役職についていたら部下の管理をしなければなりません。

いくら好きな仕事であっても、厳密にいうとそのなかにいろいろな行為が含まれているのです。一つの仕事の中にも好きなものと、好きでないものが共存する場合もあるのです。

好きな仕事がやりたくてフリーになる方がいます。しかし、フリーになっても好きな仕事だけ行なえば良いわけではありません。個人事業者になると営業、資金繰り、伝票整理からオフィス掃除などの雑用も行なう必要があるのです。

同じ業務なら、会社組織のほうが分業が確立していて、仕事に集中できる場合が多く、また、一般的に信用力に勝る組織のほうが個人よりも大きな仕事ができます。しかし、新卒者などの若い方はなかなか思い通りにやりたい仕事はできません。学生時代と違い社会にでたら自分の親ほどの年齢の人とも競い合うのです。年功制は無くなりつつあるとは言え、経験者の方が重要な仕事を任される場合が多くなります。単純業務でない限り、若い人がやりたい仕事を任される確率は低く、雑用的な仕事が多くなるのです。若く成功している人は珍しいので、マスコミで取り上げられるのです。

好きなことが見つかって、その仕事につければ突然夢のような日々が訪れるわけではありません。多くの人が競い合っているのですから現実は厳しいのです。しかし、たとえ少しでも、好きで嬉しく感じる行為が仕事の中にあるなら、嫌な雑用でも我慢して行なうことが可能なのです。好きなことをやるために、雑用を減らす創意工夫も色々考えられるはずです。

結局、好きなことでないと何事も継続は出来ないし、継続なしで何かを達成することはあり得ないのです。そしてそのはるか先には夢のような日々が訪れるかもしれないのです。直ぐに結果を求めすぎると夢はどんどん逃げていくのです。

http://www.mf-davinci.com/mori/から

          • Original Message -----

 子供のときから、周囲に職人さんが沢山いました。若い人もいるし、おじいさんもいます。彼らがどのように仕事をするのか、を眺めているのが好きでした。いろいろなタイプの人がいましたが、共通することがあるのです。

 まず、黙々と仕事をします。難しい顔をしています。楽しそうではありません。だから、昼のお弁当や、お茶の時間になると、すぐに仕事をやめて、休憩をします。一区切りつくところまでやろう、ということはなく、すぐに切り換えられるようです。そして、食事をしながら、お茶を飲みながら、楽しそうに話をします。みんなこのときは笑っているのです。仕事の話はしません。食事のあとに昼寝をする人もいました。

 時間が来ると、また黙って仕事を始めます。けっして慌てません。走ったりすることはなく、いつも悠然と歩いて、ゆっくりと作業をします。考えていることも多いようです。ずっと難しい顔をしている人ばかりです。

 彼らは、自分のために自分の技術を使うことがありません。たとえば、大工さんならば、自分の家を直したり、作ったり、といったことをしそうなものですが、ほとんどしません。つまり、趣味でやっているのではないのです。楽しいからその仕事をしているのではないのです。彼らに見出されるものは、「楽しさ」ではなく、「誇り」です。自分にはそれができる、という仕事に対する誇りです。

 どうも、近頃、周囲を見ていると、多くの人たちが、自分の仕事に「楽しみ」を見出そうとしているように感じられるのです。「誇り」を見つけようとしている人はあまりいません。「好きなことをしたい」と彼らはいいます。「楽しい仕事がしたい」と望んでいるようです。しかし、そもそも、仕事とは、その人にこそ「できる」ものだからこそ成立し、社会的価値も高まるのではないでしょうか。それが結局は「誇り」となるのでしょう。「好きこそものの上手なれ」とは、むしろ一般的にはそうではないからこそ生まれた反語にも思えます。少しくらいは好きにならなければやっていられないよ、という教えかもしれません。いかがでしょうか。



 要は、たとえ「好きであっても」それが「できなければ」仕事に「誇り」を持つことはできないし、そもそも「プロにはなれない」ということですね。厳しいことですが。